労い
日々、感情の浮き沈みとでも言うのか、心境の変化と言うのか、蓋が開いたり、閉まったり。閉まった蓋から勝手に溢れ出たり…。
自分ではどうにもならない事が多い。
今の気持ちは、前向き。だとしても、明日の気持ちはわからない。
どこに、どんな地雷があるか
いつ誰に、深く刺さるナイフを向けられるか
予測もつかない。
私にとって、周りは地雷だらけ。その辺にゴロゴロ落ちてる。
ナイフを持っていそうな人には近づかない。そもそも、自分から人に近づかない。
今の私は、なんの変化も求めない。ただ、穏やかに過ごしたい。変わらない現実なら、このまま、静かに時を過ごして、気づいたら、年老いて眠りたい。それすら、「今は」なのか、「今日は」なのかも不明。これも予測不能。
多分、前向きとは言わないと思う。
前がどっちかわからない。
昔から方向音痴だしね。
それでも、精一杯生きている。これからもきっと、精一杯生きていく。
見えない彼と生きていく。
死別後の生き方は、色々あると思う。
正解も不正解もないと思う。
愛する人を喪った者の性格、愛した人の性格、その愛し方も色々、時間も深さも。何も測れないし、比べる事も出来ない。実のところは、その人にしかわからない。愛する人を残して、逝かなければならなかった者と、残された者と。
残された者の、後ろ向きな生き方とか、前向きな生き方とか、踏み出すとか、とどまるとか、それってそんなに大事なのかな?
丸ごと愛し合った2人なら、どんなその後を過ごしていても、変わらない愛を持って、見守り続けて、寄り添い続けているのではないかな?
大人なら、人に迷惑をかけないように、社会人として?もがき、苦しみながらでも精一杯生きていれば、それでいいのではないか?
無理矢理、前を向いたり、誰かが無理矢理前を向かせたり、否定したり、ましてや、見下したり出来ないのではないか。
いいんじゃない?自然で。
それが、それぞれのカタチなんじゃないかな?
言うなれば、それも愛のカタチ。
自責の念にかられる。泣き喚く。運命と諦める。
愛する人のためと頑張れたり。。。頑張れなかったり。。。それでいいんじゃないか。
心の奥にしまうのも。忘れるのも。私はいいと思う。全部が「生きる。」ということにもなるのではないかと思う。
なんてね。
ホントは…落ち込んだのだ。悲しみを味わっても、生き甲斐を見つけ、今を楽しみ、人生を楽しもうとしている人がいる
前にもあったけど?落ち込んだ…
前にも落ち込んだけど?
自分は全然ダメで…
おそらく、後ろ向きで。
前に進む事を拒んでいるのではないかと。
…
好きで、やっているわけではない。
前向きに生きられる事は素晴らしいと思う。
いやいや、これでも私もそうしているつもりだ。
だけど、心が安定しない。心が不安定になると、浅い呼吸になり、意識も視線も、少し上を向く。少し上の空気を吸う。
これは、必死で前を向こうとしているのか?
頑張っているんだと思う。私。
だから。たまには自分を認めてあげた。
労いの言葉をかけてあげた。
こんな日もある。
こんな日があってもいいじゃないか。
宇宙はとてつもなく広い。
その全貌はまるで明かされる事はない。
現代の科学をもってしても、わかっているのは、ほんの一部に過ぎない。いや、一部にも満たない。
全ては謎。
誰かが言ってた。
科学で物質の性質はわかる。
しかし、何故その性質を持つかは、科学でもわからない。と。
そんな事を考えていたら、
今回の記事に至った。
宇宙と私の心はスケールが違うにも程があるが。
毎度、文才がなく、上手く説明出来ないので割愛するが、 宇宙、地球、私。彼。 生と死、心。私には、何か一つになるものがある気がした。結局、何でもアリ!みたいな。
情けなくなるくらい、幼稚な言葉だが、それしか当てはまる言葉が見つからない…。乏しい…教養は溢れ出るほど無い。
色々書いたが、それも今の気持ちに過ぎないのかも知れないけど…